ポップの女王、と簡単に言ってしまえばそうかもしれないけど、
マドンナの場合は、ポップと云う枠を遥かに超えていると思う。
興味深い記事を見つけたのでご紹介しておきます
誤解を恐れずに言えば、マドンナは歌だけで聴き手をねじ伏せるようなタイプのヴォーカリストではない。その出自であるダンス・パフォーマンス。衣装、メイク、MVやステージセットなどのヴィジュアル。巧みなイメージ戦略とキャラクター作り。アメリカのショウビジネスの伝統の土壌。話題を絶やさない不断の努力。セックス、宗教、フェミニズムなどあらゆるタブーや規範を剥ぎ取り打ち壊して人間の本質に迫ろうとする姿勢など、さまざまな要素がマドンナを形作っている。いわば彼女という存在がアメリカのポップ・カルチャーそのものなのだ。
世界No.1のポップ・アイコンの証明
マドンナは「世界で最も売れた女性アーティスト」としてギネス記録を保持しており、米タイム誌の「過去1世紀で最も影響力を持つ25人の女性」の一人にも選ばれている。全米シングル・チャートTOP10獲得数は歴代最多の38曲。全米アルバムチャートNo.1獲得数は女性ソロアーティスト歴代2位の8作を数える。1982年のデビュー以来現在まで一度も第一線から脱落することなく、エンタテイメント・ビジネスの頂点に君臨しつづけている。どの角度から見てもマドンナがアメリカン・ポップ・カルチャー史上最高の女性アーティストのひとりであることは疑う余地がない。
彼女が単なるアイドル/ポップ・シンガーであることを超えた文化的アイコンとなるきっかけが、”Like A Virgin”だ。初の全米シングル・チャート1位(6週連続)を記録したこの曲は、世界中で<マドンナ現象>を巻き起こし、マドンナに憧れるウォナビーズと言われる無数の少女たちを生んだ。彼女の登場は間違いなく80年代以降の女性ポップ・シンガーの流れを変え、女性の生き方を変え、社会のあり方さえも変えたのだった。
新しいフェミニズムの提示
若くセクシーな女性がヒラヒラの下着ファッションであけすけなセックス礼賛歌をうたう。腰のベルトには「BOY TOY(男の子のおもちゃ)」の文字がある。マドンナの登場は、女性の地位向上を目指していた頭の固い旧来のフェミニストたちに「女性の意識を20年後退させた」と嘆かせた。
しかしマドンナが体現していたのは、女性の地位向上は女性らしさを捨て男性化することではなく、女性の美しさに誇りを持ち、ためらうことなく自分を主張し表現することだという考えだった。その主張に応え、一歩下がって男の影に隠れていた女性たちは大胆に自己を表現し始めた。その決定的な宣言となったのが「あなた自身をさらけ出すのよ」と歌われるこの曲だ。デヴィッド・フィンチャーが監督するMVでは、マッチョな男性原理が支配する抑圧的な社会に閉じ込められているマドンナが大胆に自己を解放するドラマが演じられた。同時に、物質主義と拝金主義にまみれた欲望の権化と思われていたマドンナが、資本家や支配層ではなく労働者やマイノリティの側にあることを宣したのである。
ダンス・カルチャーとポップ・ミュージックの融合
ちょうどザ・ローリング・ストーンズが、黒人音楽の最新流行を取り入れながら自らの表現を更新していったように、マドンナはダンス・ミュージックのそのつどの最突端の動きを参照し、そのエッセンスを取り入れることで、ポップ・ミュージックの第一線に居続けている。”True Blue”、”Like A Prayer”のリミックスを手がけたニューヨークのDJ、シェップ・ペティボーンがプロデュースを手がけたこの曲は、ニューヨークのハウス・ミュージックの動きを極上のポップ・ミュージックに昇華し、さらに当時クラブで流行していたダンス・スタイル「ヴォーギング」を取り入れて、世界的大ヒットとなった。これでマドンナの信頼を得たペティボーンはアルバム『エロティカ』(1992)を全面プロデュースする。彼女が下積み時代を過ごしたニューヨークのディスコ・シーンが、黒人やヒスパニックのゲイたちに支えられ、のちにハウスやテクノを生み出したことは歴史的事実だが、そうした抑圧されたマイノリティとアンダーグラウンド・カルチャーへの共感と賞賛こそが、ショウビズ界のトップ・ランナーであるマドンナを支え続けているのである。デヴィッド・フィンチャーが監督したクールでスタイリッシュなMVも極上の出来。
人種も宗教も超越した表現者
マドンナはあらゆる表現の禁忌を突破する。全米中の物議を醸したこのMVこそが証明だ。肌もあらわな衣装で燃え盛る十字架の前で歌い、黒人聖像に救いを求めたマドンナが祭壇で交情し、黒人教会で歓喜のゴスペル・クワイヤーと共に歌い踊るという内容は、白人女性であるマドンナが宗教的な救いを黒人から受けること、祭壇でセックスするシーンなどが不敬であり神への冒涜だと、カトリック系の宗教団体から激しい非難を受け、彼女がCM出演していたペプシコーラの不買運動にまで発展した。単なる使い捨てのポップ・ソングであることを超え、人種差別問題、倫理・道徳のあり方、宗教・信仰とは何かまで踏み込んだマドンナは、アメリカ社会に頑迷に存在するさまざまな禁忌を解体することで、真に自由で解放された表現が可能なのだと宣したのである。現在でもマドンナを代表する名曲としての評価は揺るがず、ライヴではハイライトとして必ず演奏される。
性表現の過激な実践者
マドンナにとって最初期からもっとも重要な表現モチーフは「セックス」だった。性表現もしくは性的表現はアメリカのエンターテインメントに於いて欠かせぬものとして、男女問わず伝統芸として蓄積されてきたが、マドンナこそはその正統な、そして過激な継承者である。レニー・クラヴィッツを共作者に迎えたこの曲は”Vogue”の大ヒットを受けた快楽主義的ハウス・トラックだが、プリンスやデヴィッド・ボウイを手がけた大御所ジャン=バプティスト・モンディーノ監督によるMVが凄すぎる。名も知れぬホテルに迷い込んだマドンナが、性別を問わぬさまざまな人物と快楽をむさぼるという過激なもので、同性愛、フェティッシュ、ボンデージ、乱交などが赤裸々に描かれMTV史上初の放送禁止となった。この後マドンナは私生活まで開陳した赤裸々なドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』の公開、ヌード写真集『SEX』の刊行、そしてアルバム『エロティカ』のリリースと、発情期さながらに突っ走る。90年の来日ライヴに於けるあからさまに性行為を模した動きには度肝を抜かれた。そしてこの人の偉大さは、50歳を超えた今も、そうした自らの体を張ったセックス表現にためらいがなく、それに堪えうる肉体の美しさを死守していることだ。
続く…